高専を中退してゲームを作っている

 
この記事はKosen Advent Calendar 2015 19日目の記事です。
 
 
 
◇始めに
タイトルの通り、私は今ゲーム制作に携わっている。
職種はプランナー。
 
高専情報工学科に入学したが、3年終了時に辞め、上京した。
ゲームの専門学校に入った後、この業界に潜り込んだ。
 
エンジニアではなくプランナーなので、今はプログラミング等技術的な仕事はやっていない。
だが、高専生活で得たものは今でも役に立っているので、それについて書こうと思う。
 
 
◇勉強
3年までとはいえ、情報科として基本的な勉強はした。
それは少なからず役に立っている。
 
特に、プログラミングの構造や簡単なアルゴリズムを知っていると、バグを見つけやすくなる。
エンジニアが見逃しそうなポイントを突くのが、デバッグでは重要だ。
 
また、スクリプト等のデータを作る場合でも、プログラミングをしたことがあるかないかで、理解度は大きく変わるだろう。
 
プランナーには大きく分けて「エンジニア寄りのプランナー」と「デザイナー寄りのプランナー」がいるが、私は完全にエンジニア寄りのプランナーだし、それに合った仕事をやってこれた。
 
 
◇趣味
高専時代に何に時間を費やしたかと問われれば、間違いなくゲームと答えるだろう。
授業中に、休み時間に、寮で、友達の家で。
 
色々なジャンルの、色々なゲームで遊んだことは、ゲームプランナーとしての大きな糧となっている。
むしろそれが無ければ、私はポケモンスマブラしか知らないままだったかもしれない。
 
ちょうどニコニコ動画が流行り始めた時期でもあり、動画編集にも手を出した。
ファイル変換や画像・音声編集などは、直接仕事に役立っている。
 
反対に、アニメやラノベには全くハマらなかった。
なので今でも声優をあまり知らず、時々不便である。
 
娯楽であるゲームを作るならば、様々な娯楽に触れることは大切なことだ。
 
 
◇集団生活
高専で最も鍛えられた事。それは集団生活の術である。
私が通っていた某高専は一年生は全員寮に入ることになっており、先輩と同じ部屋で暮らした。
 
食堂も風呂も学年ごとに区切られ、一年時は窮屈な思いをした。
門限なども厳しく、自習時間もあったし、夜には電気が全部消された。
 
寮生活は大変だったが、その分友人達と仲良くなることもできた。
夜遅くまでレポートを書いたり、鍋いっぱいのスパゲティにレトルトカレーをかけて食べたりしたもんである。
 
そして更に集団生活を鍛えるものがあった。
それは挨拶運動と応援団である。
 
一年生は伝統として、朝礼後に校庭に集められ、大声で「おはようございます!」を繰り返す。これが挨拶運動だ。
四年の先輩が監督しており、ちゃんと声が出ている人から順に開放される。
 
これが苦痛で苦痛で仕方なかった。体罰に近い。
喉が枯れてもOKが出るまでは繰り返さなければいけない。田舎ならではの風習と言えよう。
 
応援団は体育祭で演舞を披露するのだが、その練習を3ヶ月くらいやる。
毎日放課後暗くなるまで、休日は一日中練習している。
 
応援団も上級生と共に行うので、嫌でも協調性が養われる。
このような体育会系スピリッツは工業高専では珍しいのでは無いだろうか。
 
ゲーム制作を独りで行うことは稀だ。
どうしても他人とのやりとりが必要になる。
 
特にプランナーはコミュニケーションが重要になる。
私は高専生活のおかげでそれが苦ではなくなった、と思う。
 
 
◇友人
三年間通った高専で得たもので、最も役に立っているのは友人である。
このアドベントカレンダーを教えてくれたしゃのんはもちろん、今でも遊んでくれる人々は本当に貴重だ。
 
ゲームを一緒にやったり、テスト勉強をしたり、レポートのまとめを手伝ってくれたり、カルピスソーダを奢ってくれたり、寒空の下でラーメンを食ったりしてくれた彼らには感謝してもしきれぬだろう。
 
私は一足先に上京し、社会人となったが、今では多くの元クラスメイトが東京や全国で働いている。
私も彼らに負けぬように、日々働いていこうと思う。
 
 
◇最後に
長々と書いたが、私がこの業界に入れた理由は簡単である。
高専出身なら数学得意でしょ?」と言われて面接を通り、メダルゲームの開発に携わったのである。
 
つまるところ、高専に行ったことそのものが、私が今こうしてゲームを作っていられる全てなのであった。
 
平凡な少年が、平凡なままプランナーをやるのは中々難しい。
だから何かに特化した方がいいし、そのためには高専はピッタリな場所では無いかと思う。
 
でもやっぱり、ちゃんと卒業はしておいた方がいいよ。